Vol.1(24th 〜 28th
March)
REPORTED by HIROSHI
O.E.C.
24th March
日本時間3月24日朝10時ワレワレ4人はアメリカに向かうべく東京を出発。
いざ!集合間もなくアリゾナのブッキングがやばそうだとの情報。
そんなこんなで成田に向かうもワレワレを乗せた車にはガソリンが無かった、探すとないのはスタンドと煙草の自販機、
やっと見付けたのは出発後一時間、成田の駐車場にも道に迷いすんなり行けず、かなり余裕のあるはずの時間もいつの間にやら
余裕も無くなり、ゴロゴロ転がるようにLA行きの飛行機へ、すると間もなく期待と不安を抱えこれから起こるいくつかの出来事も
想像出来ないワレワレを乗せたKE001便は大空へとテイクオフです。
(at 成田空港 その1:時間無いのにラーメン&ビール)
(
(at 成田空港 その2 :時間無いのにラーメン&日記帳)
(at 成田空港 その3 :時間無いのにワインボトル小×2)
(今回の機材車)
(今回滞在させてもらったJAMES宅)
(JAMESの愛犬GUS君6歳♂)
(GO & GUS。JAMES宅プールサイドにて)
(at WEST HOLLYWOOD)
(O.E.C就寝中。捨てられた死体?)
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今回のツアー7会場、何処へ行っても勿論楽器等は無い。おそらく7会場に限らず他の箱でも無いと思う。
本来このスタイルが普通であり、クラブやライブハウス等、大体の演奏スペースに手荷物程度の楽器を持って行けばすんなりやれる
日本が異常に恵まれていると考える。だからバンドには何処へ行っても演奏できる機材一式が必要であり、
やはり皆所有していて、ワレワレはその恩恵に与かり各地での活動を繰り広げていた訳です。特にドラマ-である
そんなアマちゃんの僕は段々楽器を借りられる事への感謝から楽器を持たない情けなさに変わり、
しまいには次までには機材何とか所有しなくてはと考えるようになりました。
だからバンドは自分達の事は自分達でやる精神その本来のバンドマンとしての当たり前の事を、
恵まれた環境に甘んじて、忘れていた事を改めて痛感した旅だったと僕は思う。
。
25th March
今回のツアーは全7公演の予定で3月25日のサンディエゴをかわきりに4月3日
のアリゾナまでの10日間、
4連チャンの後、中一日で一本それからまたさらに 中一日と移動日を挟み2連チャンとパット見は楽な日程と言えよう。
実際カリフォルニアの内は楽でこれで良いのか?と思う程恵まれた環境の中、毎日を過ごした。
ライブ中や移動中も色々ありまして、何せ初めての事も多くワレワ レも戸惑いながらその波に翻弄される小舟のように西へ東へ南へ北へ。
さて アリゾナで予定していた3本の内前にお話ししたよう一本無くなり気落ちしているワレワレに朗報が飛込んで来たのは
アメリカに着いて2日目のこと、 このツアー企画段階の時直接アプローチしていたけれど良い返事の頂けなかったアナハイムにある
あの有名なDOLLHUTでの演奏がジェームスの紹介でいともあっさり決まった。そんなものなのかなぁ?…と。
これで無くなっ た一本が帰ってきた形になり予定通り全7公演!!!さてサンディエゴは
TioLeo'sからのスタート、どうなる事やら…。
サンディエゴをかわきりに始まったツアーは翌日LAその翌日サンフランシスコその翌日またLAへと。
実はワレワレ行くまでそれほどその距離感を理解しておりませんでして、サンディエゴやサンフランシスコなど少し遠いのかな?程度、
全く土地感もなく、ましてや道など分かるわけもないワレワレにはとても険しい道のりでありました。
初日のサンディエゴはTioLeosなるメキシカンレストラン、そこにはまるでロッキンのロの字も無く、ワレワレの前に
演奏したバンド(注1)も案の定カントリーっぽくて今宵の客の好みそうな感じだったからこんな雰囲気の場所が
初めてのリズラズ一同「ヤバイ」と感じたが、実際始まってみると懸念された飛んでくるビール瓶もブーイングも無い、
それどころか目の前では踊ってる人たちもいる「イケルのか?」と思ったのも束の間後半にはお客も激減、
初老のテンガロン紳士などは首をひねりながら席を立ち、PA(ホットロッドリンカーンのジョニー)も
ギターの音を下げに来る始末、それでもなんとか無事に演奏を終えた。でもCDを買ってくれた人たちや、
最後まで観てくれてた人たちも居たわけで、それらの人々に心から感謝した。
CDを買ってくれたご婦人に「ミドルテンポの曲もやったほうが良いわよ!」とアドバイスを受けるも、
「ワレワレこれしか出来ないんだよ知らなかったのか!?」とも言えず、グッと堪えて「サンキュウ、サンキュウ」で
サンディエゴを後にして車を走らせLAへ。
(注1)この日はHOT ROD LINCOLNのJohnnyの別バンドが出演。ギターはなんとRip
Carson! 良い音出してました!
(TIO LEO'Sの看板。)
(最初の数曲は踊ってくれてましたがWILD
TUNEになると...。)
(でも頑張りました。)
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26th March
今日は、このツアーをプロモートしてくれたブラントのイベントが行われている「SPIKES」でのライブ、ワレワレ俄然気合が入る。
店は物凄く暗く、半分がビリヤード台で占めるいわゆるプールバー。演奏や踊るスペースも台を移動して作られる。
99%をメキシカンの客で埋め尽され、そんな中「LIL' LUIS & LOS WILD TEENS」(以後ルイスのバンドとする)
がスタート、ワイルドでカッコイイ(マジで)で、イベントの雰囲気はと言えば黙って聴いていたり
玉付きしながら聴いていたり様々、でも一曲終わる毎に「ワーァ」と騰がる歓声といった反応はこの日に限らず、
今回何処へ行っても同じであった。まあこちらなりの盛り上がり方なのだと思う。
この日新たに知り合った人々にはこの後もいろいろなサポートを受ける事になった。
(LIL' LUIS & LOS
WILD TEENS。カッコいいです!)
(LIVE at SPIKE'S)
(PETER & GREGG)
(PETER & ZAC by SPACE
CITY OWNER)
(LA在住DJ SATOSHI。毎週月曜&最終金曜日にSPIKE'SでDJしてます)
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(BRAND, SHORTY, SATOSHI)
(LUIS & OMAR)
27th March
次のサンフランシスコは道中アクシデントもあり(この話はまたの話で)距離もありでそれはそれで大変でしたがサンフランシスコに到着
(正確にはサンフランシスコではないらしい)そこにそびえ立つDemarcos23という箱それはそれは素晴らしい
美しい伝統のある凄い雰囲気のある所でした。(注2)
イベント終了も「ゴーンゴーン」と鐘の音と共にお客は強制退去、いかにも酔っぱらいに厳しい国らしい終わり方だ。
そう、何故かこの日予定の時間より早く演奏を終了させられた事、僕は今でも解せないけれど
この日の対バン(注3)も素晴らしくとても素晴らしい箱でやらせて貰えたので「まぁ良いか…」で終了。
(注2)この日わざわざ来てくれたHELLBILLYSのBarrieによると1950年代からあるタウンホールで
当時はJerry Lee Lewis, Johnny
Cash, Collins Kids等も演奏したらしく彼の親父さんは当時観に行っていたそうです。
(注3)この日の出演はOMAR &
THE STRINGPOPPERS, HIGH STRUNG RAMBLERS, DANNY SANTOS & THE
SAVOYS。
トップのHIGH STRUNG RAMBLERSは前出のLOS
WILD TEENSのWB"IGGY"在籍するROCKABILLYバンド、
無名ながら演奏レベルは確実に日本のバンドより上。
DANNY SANTOS & THE
SAVOYSは神経質そうなVoとWBでしたがGO-GETTERSの1STをもっと
AUTHENTICにしたような好バンド。Voの声もなんとなくGO-GETTERSに似てました。
OMAR & THE STRINGPOPPERSはVIVA
LAS VEGASにも出演しているので知っている人も多いでしょう。
二十歳そこそこのOMARは2曲目でもう髪が乱れる程のアクションで会場も盛り上がってました。
途中スペシャルゲストで元EDDIE &
THE FLATHEADSのWilliamが飛び入り!
バンド解散後アメリカに住んでいるのは知ってましたがまさかココにいるとは!
1番前で観させて頂きました。
(SF道中その1: 店員さん、もっとしっかり洗って下さい。)
(SF道中その2:とりあえず撮っとけ。)
(SF道中その3: とりあえずもう1枚撮っとけ。)
(SF道中その4 :『こ〜んな魚釣ったんだよ!』と言ってるかどうかは不明。)
(DEMARCO'S 23 CLUB)
(LIVE at DEMARCO'S 23
CLUB)
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28th March
また長い道のり、来た道をまた戻りLAへ、今日は古着屋でカフェで床屋で刺青屋、
メキシカンのボスが経営する店「SPACE CITY」の一角に設けられたステージで古着を眺め、
コーヒーの香りを楽しみながらの演奏。このあたりでリラックスしてやっと地に足の着いたライブ出来た気がするな〜。
こうしてこの濃いよな薄いよなこの4日間を終えた後になってから、今まで4日連続など経験したことなかったなぁ〜と
改めて振り返りながら、「ホッ」としたわれわれはその夜、SPIKESで知り合ったメキシカンの
家に招待され旨い肉とメキシカンビールに舌鼓を打ち、いつの間にか楽器一式持ち出したワレワレと
メキシカンのあわせて15人程の宴は深夜まで続き(注4)、気持ち良く酔っぱらったワレワレはその日ぐっすり眠ったのでした。
(注4)最後隣の家から苦情が来て室内に移動。あれだけ大騒ぎしてりゃなぁ。。。
(LIVE at SPACE CITY VINTAGE
CLOTHING & COFFEE SHOP)
みなさんも水平線や地平線ならご存知だと思うがワレワレが見たのはサンフランシスコに向かうフリーウェイで
目の前に広がる牛平線(うしへいせん)沢山いる牛は日本でも見かける事もあるでしょうが、目の前に広がる風景が全部牛、
というのは想像出来るでしょうか?
(牛平線。数マイル続いた)
どれ程の物かと申しますと、まぁ兎に角見渡す限り牛だらけの牛平線なのであります。
そこを通った数分間の悪臭で触発されたのか、僕とメンバーの一人(名誉の為名前は伏せる)が催してしまい(小)
何処まで行けばトイレがあるのかもわらないため(注5)、仕方なくフリーウェイの路肩に車を停め、
僕と彼の二人は軽い渋滞でノロノロと通りすぎる車を縫う様に路肩に停めて、車の中に残ったメンバーが見守る中アメリカの大地にめがけ、
気持ち良く放物線を描いておりました、すると丁度用をたし終えスッキリとした二人の目に飛び込んで来た一台の車、
何色かに彩られたその車、なな、何と乗っているのは若いお巡りさん、しかも相当怒っておられる様でして、
まず車から半分身を乗り出して見物していたピーターをいきなり怒鳴って車に押し込んで、
次に車に戻ろうとしていた僕と彼を犯行に及んだ場所に戻るように怒鳴り、
また怒鳴りながら運転席に居たテツを車から下ろして職質(注6)(その間僕と彼は壁に向かって手を付きじっと待つ)
(イメージ画像)
ようやく僕ら二人はお巡りさんに来るように言われて(それも怒鳴って)お巡りさんの元へ、IDを提示しながらお説教、
英語の解らない僕が唯一解った言葉は「ジェイル」嗚呼、立ちションで入れられちゃうの?と思いながら一生懸命謝る。
するとまだ怒りが収まらぬ様であったが取り合えず許してもらえた。
後で英語の堪能な彼(注7)に何を言われていたか教えてもらった、お巡りさんは「お前らのションベンで俺達の国を汚すな」とか
「次はジェイルだ」とか言っていたらしい、こちらとしても緊急事態であったし、向こうも職務だからお互いしょうがない出来事、
でも終始腰に着けた銃に手をかけていて怖かった、けど尚の事、「用を済ませておいてよかった」と思う。
そうしてチビる事なく無事生還した二人を乗せた車はまた走り出しました。みなさんくれぐれもトイレはお早めに!
(注5)言い訳。EXITを探しつつも超長〜い橋を渡った為、我慢の限界に達した模様。
(注6)ポリ『おうコラ、日本じゃフリーウェイに車停めて立ちションしていいのか?ハ〜ン?』
T『(バレなきゃいいんだよ...)いいえダメです。。。』以後ひたすら平謝り。
(注7)怒られながら彼の頭の中は『ライブに間に合うかな?』だったらしい。流石。
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Vol.2
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